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奈良ゆかりの文人  愛し集う、歴史流れる町並み

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 1300年の歴史が流れる古都奈良には、多くの文人が訪れ、紀行文や随筆を残している。彼らが何に引かれ、何を感じたのか。小説家になったつもりで歩いてみよう。

 

 

志賀直哉

文化交流の舞台に

 志賀直哉(1883~1971年)は1925(大正14)年から13年間、奈良に暮らした。以前から奈良の古美術を好み、自然と調和した町並みに引かれていたという。

 

 奈良市高畑町には直哉が家族と暮らした家が旧居として残されている。奈良学園のセミナーハウスとして管理され、見学もできる。

 

 高畑町は春日大社の神官が住む「社家町」だった歴史があり、多くの文化人に好まれた。直哉の旧居は、春日大社につながる「ささやきの小径」のすぐそばにある。和洋折衷のモダンな数寄屋造りで、「暗夜行路」を書き上げたとされる書斎が2階にある。隣の客間からの眺めは素晴らしく、大きく造られた窓から若草山や周辺の山々が眺められる。名作の執筆も進みそうだ。1階のサンルームは「高畑サロン」と呼ばれ、文人たちが文学や芸術談議に花を咲かせた。

 

【奈良学園セミナーハウス志賀直哉旧居】

◇住所/奈良市高畑町1237の2

◇交通/JR奈良駅、近鉄奈良駅から奈良交通の市内循環バスで「破石町」下車。東へ徒歩約4分、北へ約1分

◇問い合わせ/電話:0742(26)6490

 

高畑町にある志賀直哉旧居

 

文化人が集ったという高畑サロン(1階サンルーム) 

 

 

森鴎外

古寺巡り歌を詠む

 奈良での単身赴任中に「奈良五十首」を書いた森鴎外(1862~1922年)も奈良を愛した文人の一人。現在の国立博物館に当たる帝室博物館のトップとして、正倉院に納められている品物の虫干しに立ち合うため、毎年のように奈良に赴任した。雨で虫干しができない日は市内を歩き、寺を巡った。

 

 奈良国立博物館の北側には、鴎外が滞在していた宿舎の門が「鴎外の門」として現在も残されている。「夢の国 燃ゆべきものの燃えぬ国 木の校倉(あぜくら)のとはに立つ国」と詠んだ鴎外は、古代が色濃く残る奈良を「夢の国」と感じたのかもしれない。 

 

【鴎外の門】

◇住所/奈良市春日野町1「大仏殿」交差点付近

 

森鴎外の宿舎があった場所に残された鴎外の門

 

 

正岡子規

最後の旅で柿食す

 「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の句が有名な正岡子規(1867~1902年)も、奈良を訪れていた。1895(明治28)年10月に肺結核を病みながら訪れた奈良の旅は、以後7年の闘病生活を送ることになる子規にとって最後の旅となった。

 

 子規が宿泊したのは東大寺の西側に当時あった「對山樓(たいざんろう)角定」という旅館。女中に柿をむいてもらって食べたと後年随筆「くだもの」で記している。跡地である「日本料理天平倶楽部」には、樹齢百数十年の柿の古木と「秋暮る奈良の旅籠や柿の味」の句碑を中心に整備された「子規の庭」がある。 

 

【天平倶楽部内子規の庭】

◇住所/奈良市今小路町45の1

◇交通/近鉄奈良駅前のバス2番乗り場から奈良交通バスで「今小路」下車すぐ

◇問い合わせ/電話0742(27)7272

 

大仏殿を望む子規の庭(天平倶楽部提供)

 

 

 

協賛(順不同)

南都銀行 ゆららの湯 奈良交通

 

マスオグループ CampingCar Sincere まほろばキッチン

 

Audi奈良  上武建設グループ  アサヒビール  柳生観光協会  亀の井ホテル奈良  小西通商店街振興会

 

奈良もちいどのセンター街協同組合  第一生命  ならしん  袴田興産  乾重量  JW MARRIOTT NARA

 

Rental Car nido

 

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